ラブリー・ボーンという作品

パラマウント映画が作り上げる、映画の形

これまでに無かった映画作品

ここからはパラマウント映画が制作した映画について話をして行くわけだが、正直有名どころ過ぎるものばかりを取り上げても味気ない。というより、先に紹介したローマの休日にしても、ゴッドファーザーにしても、インターネットで検索すれば情報量は膨大だ。今更何をとも言える映画としてはありふれたテーマとなってしまうため、ここは少し一般にはそれほど知られていないような作品を取り上げてみようと思う。ただあまりに聞いた事もないような作品を取り上げてもしょうがないので、現在からおよそ数年前まで遡っての作品について話をしていこう。

まず最初に紹介するのは2009年に公開され、巷の映画ファンにとっては話題を呼んだ『ラブリー・ボーン』という作品についてだ。映画を良く見に行くという人なら存じ上げているかもしれないが、自分の気になったものしか見るようにしていない、また映画なんてレンタルDVDが出て借りればそれで事足りるという人でも、作品について旧知ではないというのもあるかもしれない。

ラブリー・ボーン、タイトルからして中々斬新さを伺える。直訳すれば『美しき骨』となるが、これが何を意味しているのだろう。まずはそんな概要的なことも含めて話をしていこう。

作者の壮絶な実体験を元に執筆された小説が原作

ラブリー・ボーンはオリジナル映画作品ではなく、小説作品を映像化して出来たものだ。原作小説が誕生したのは映画が制作されるおよそ7年前のこと。執筆した『アリス・シーボルト』もそうだが、同作品は発表された当時、アメリカで一躍話題を呼んだ作品でもある。日本では馴染みがないかもしれないが、同作品は当時200万部以上のベストセラーを記録した有名作品だった。だからこその映像化となっているわけだが、当作品を生み出すまでの軌跡が苛烈だったこそ、多くの人が興味関心を示したのかもしれない。

創作物を作り出すとなった場合、やはり作者の意向が作品に反映される事が否めない。ではラブリー・ボーンにはシーボルト氏のどのような部分を根底にしているのかというと、それは決して人にはかたりたくはない事実を元に執筆している。後に作品のあらすじなども紹介する項目で取り上げるが、同作品の主人公は強姦された上に殺害されてしまうという衝撃的な場面から物語がスタートする、それだけでも話題性抜群だが、作者の体験とはまさしくこれだ。

存命の人物なので殺害されてはいないが、彼女は作品を作り出す数年前に実際に強姦被害にあっていたという。日本でも度々報道される事件だが、この国においてはまだ強姦というのは生易しいレベルといえる。無論世間に知られること無く、隠蔽されるケースもあるかもしれないがアメリカなどの世界各国では強姦被害というのは由々しき問題として取り上げられることが多くなっている。

法整備がされても、進まぬ抑制

アメリカでの強姦被害は非常にありふれたものとなっている、こう記すのも非常に遺憾だが事実となっている。どれだけの女性が経験しているのかというと、5人に1人は実際に強姦された過去を有しているという。中には強姦の末に殺害されるというケースもあるため、命があってよかったと思いたいが、多くの被害者が実際に訴える事無く泣き寝入りしてしまうケースも多いという。それほどアメリカという国は強姦に対して厳しく取り締まれないのかと思うが、そんなことはない。強姦に対しては日本とは少しばかり捉え方が異なっているものの、赤の他人同士は勿論、親族間での性的虐待なども強姦の一種として取り締まる法案が制定されており、刑期も日本と比べれば十分に重いといえる。

しかしそれでも強姦被害が減ることはない、どうしてかと考えてしまうがおそらく答えというものはないかもしれない。女性に対しての私怨もあれば、ただ溜まった情動を発散するための行き当たりばったりというケースも実際にあるため、被害の深刻さは極めて根深い。おそらく法整備がどんなに進行しても根本的に解決への糸口は見つけられないのかもしれない。

告発の意も込めて

近年では強姦被害にあった人々に対しての支援も充実している、アメリカでは頻発しているためカウンセリングなどの体制も十二分に用意されている。また世情も多くはレイブ被害者自身が悪いという偏見を持たない世情になっていることも関係して、社会復帰への道筋はキチンと形成されている。

しかしそれでも被害にあった自分が悪いと決め付けてしまう人もいる、女性にしてもそうだが、強姦被害は何も女性だけでなく、男性が男性から強姦されるケースもある。当然男性にとって強姦など縁がないと思われるが、同性愛に対して寛容な国においてはおそらく問答無用のターゲットとなりえる。男としての尊厳を鑑みれば、自分が性的被害者になったなどと、プライドにかけても告発など出来るはず無いと精神的に追い込まれる事は間違いない。

そういった意味で、アリス・シーボルトという女性が作品を通して性的被害を受けた過去を発表したのは、そうした被害者達に対して共感を持たれる部分といえる。強姦被害はいわゆる治安が不安定な地域にのみ発生すると思われがちだが、アメリカではそれさえも被害を受けないという前提から離れられない。誰でも被害にあう可能性を有している、またそれに対して悲観的にならず、勇気を持って欲しいという、そんな意図も作品に込めているのかもしれない。