あらすじと世界観

パラマウント映画が作り上げる、映画の形

ラブリー・ボーンという作品は何なのか

アリス・シーボルトが壮絶な実体験を元にして書いたラブリー・ボーン、考えられる作品の内容はやはり性的被害者を励ます、もしくは加害者となった人物達が成敗される勧善懲悪のストーリーになっているのではないかと、筆者も初めは思った。しかし実際に作品を見ると想像していなかった展開が待ち構えている。まだ見たことがない人もいるかと思うが、当作品を語るにはそうした少し奥の方まで進まないと作者の意図と思われる部分を読み解くことが出来ないため、ネタバレを前提に話をして行く。肝心の内容は見てから知りたいという人もいると思われるので、これより先はネタバレを含めた作品紹介と世界観について話をしていこう。

世界観に選ばれた時代は

ラブリー・ボーンの世界観として選ばれたのは1970年代が焦点に当てられている、丁度この頃はアメリカにおいて女性解放運動が盛んに行なわれていた。一時期、強姦を犯罪と定義する事は意見であるとする裁判所の衝撃的過ぎる判決が下されるなど、非常にナーバスになっていた問題だ。その直後ということもあって、作品でも女性が強姦されたことに対して消極的な動きしか見せない警察の様子などが丁寧に描写されている。今でこそ強姦に対してあらかた法整備が進行しており、被害者達に対するサポートも万全だ。だが当時、1970年代以前から生きていた女性たちにしてみれば、自分たちが例え被害にあっても、加害者ではなく自分たちが悪いとばかりに見られていた社会風潮に苛まれる。本来守られるべきはずの被害者が誹謗中傷の対象となってしまう、強姦に対して言うならばまるでそれを裁くことは出来ないと告げるような社会だったという。

この頃から男性の強姦被害に対しても考えられていた

解放運動が行われたことで女性被害の強姦については社会も容認するようになる中で、80年代には男性被害の強姦に対してどのように対処するべきかという問題も話し合われるようになる。男性、特に10代の青少年達は過去を見ても性的被害にあうことが確認されている、中には虐待されただけでなく、殺害された後に、カニバリズムの餌食にさらされるという最悪のケースもある。特殊な例だが、過去に語られている強姦致死を犯した犯罪者の中には、かつてアメリカを震撼させた最悪の犯罪者もいたと言われている。

そういったことも含めると、舞台設定についてはまさしく作者の実体験が焦点となっていた時代でもあるため、背景を知る事は自動的にアメリカの性的暴行に関する歴史を紐解くことになる。そういう意味では、そうした犯罪に対して嫌悪感しか示さない人にしてみると、気持ちのいい話ではないかもしれない。ただ日本でも実際に起きている事を考えれば、見直してよく自分なりに考察するということも大事なテーマなのかもしれない。

あらすじ

次に作品のあらすじを見ていこう。

少女の思い、家族の思い

主人公、スージー・サーモンは何処にもでいる14歳の少女。思いを寄せているレイからデートの約束を交わして心躍っていた彼女だったが、その約束を果たすことは出来なかった。ある帰り道、近道として通ったトウモロコシ畑を通っている時にとある知り合いの男性に呼び止められる。そして彼に誘われるがまま畑に作られた地下室へと案内され、そこでスージーは強姦・殺害されてしまう。スージーが帰ってこないものの、遺体と殺害の痕跡は隠蔽されてサーモン家の訴えも空しく、彼女は行方不明として扱われることになる。一人の少女はそこで生を終えた、しかし彼女は本当の意味でこの世からまだ離れていなかった。あの世とこの世の狭間でスージーはそっと自身の家族を、そして自分を殺した隣人男性、ハーヴィを見守っていた。死んでしまった自分は何も出来ない、彼女はただ自分がいなくなったことで崩壊の一途を辿っていく家族の様子を見つめるしかなかった。殺された当初は犯人に対して恨みも持っていたが、それ以上に自分の家族がこれ以上壊れていく姿は、14歳の少女には居たたまれなかった。どうすることも出来ないまま時間だけが過ぎていく中で、スージーはハーヴィに強姦殺人をされた同じ被害者の幽霊達と邂逅する。そうしたこともあってか、いつしか彼女の中にはハーヴィに対しての憎しみではなく、それ以上に自分の存在で離れてしまう家族がこれ以上傷つかないで欲しいと思うようになっていった。やがて自身の存在が負担になっていると感じた彼女が取った選択は犯人への復讐ではなく、彼女が生前果たすことの出来なかった約束を成し遂げるためにその思いは傾倒して行くことになる。

復讐はなされない

簡単にあらすじを紹介したが、この作品で犯人であるハーヴィに対して何かしらの社会的制裁が加えられるといった描写は映画にも、原作にも存在していない。どうしてかと思うが、作者にとってそれが正しいことだと伝えているのではなく、この作品において大切だと感じたのは遺された者達の群像劇が主題となっている。死後の世界で見守るスージーはあくまで見守るだけ、そこへ何かするわけでもなく、犯人を捕まえるといったことがされるのでもない。一重に彼女の家族に対しての愛と、生前思い続けた思慮の相手への想いを遂げることへと昇華して行くのだった。