あらすじと世界観

パラマウント映画が作り上げる、映画の形

監督独自の視点で描かれたノアの方舟

叙事詩としてあまりに知れ渡っている同作品に対して意見を上げるとするなら、どのようなものかと考えてみるが、正直な感想を言えば中々大胆なテーマを取り上げたなぁというのが、最初に出てくる。どうしてか、確かに世界的に知られているというのもあるが、何よりこの世界観を表現するというのは少なからず宗教観に対して偏見をもたらしてしまう。言い方は悪いかもしれないが、聖書そのものがキリスト教に関係しているものであるため、どうしてもその問題には立ち会わなければならない。

おそらく日本ではそういったことを含めて考えると、宗教に関する映画作品を取り上げてみようという風に考える映画監督は少ないのではないか。反発を招くこともあるが、特にこのノアの方舟については叙事詩となっているが、聖書に記載されている内容を解釈するのは読み手に全て一任されている。

教会で読み説かれて始めて解釈に対して意見を持ったという人もいるだろう、ただそういうことも含めるとやはり聖書を題材にした映画作品を創れるというのは海外の映画文化だからこそなのかもしれない。もちろん日本でも神話を題材にした作品は見受けられるが、独特の解釈に委ねられた内容にする事は避けるべきだと、そんな風潮も見られる。

ノアの方舟を題材にした同作品はどんな世界観となっているのか、読み解いていこう。

作品のあらすじ

まずは作品のあらすじについてだが、大まかには叙事詩に基づいており、そしてその中に制作した人間の解釈を交えた部分も見られるため、そこの部分も取り上げつつ紹介していこう。

人間は存在してはならないと解釈した

ある夜、ノアは夢を見た。それは神が人間達を滅ぼすために大洪水を起こすというものだ。恐ろしい光景を目の当たりにしたノアはこのままではまずいと知り、神からの宣告を元に罪なき動物たちを掬うために巨大な方舟を建造するために奔走する。大洪水が発生することを知ったことで妻のナーマ、3人の息子達と養女イラと共に方舟を創っていくが、その計画をかつてノアの父を殺したトバル・カインが知ることとなる。自分たちが生き残るために方舟を奪おうとするが、壮絶な戦いを繰り広げていく中でついに運命の日は訪れる。溺れ行く人々を助けようとしない父に対して疑問を持ち始める家族。密かに方舟へと乗り込んでいたカインは父に憎しみを持っていた次男と共に亡き者にせんと襲い掛かるが、逆に返り討ちにあってしまうのだった。その後ノアは神から託された啓示が何なのかを打ち明ける。そこには神が人間、ノアに託したかったある思いが込められていた。

制作には長い時間が掛けられた

同映画作品で知られている内情としては、草案として提出された時期がかなり旧いということだ。というより、監督である『ダーレン・アロノフスキー』がノアの方舟に興味を示したのは、彼が大学に在籍していたときのことだ。その後ノアに関する作品を創ろうとしてプロジェクトが始まったのが2000年だという。公開される14年前から計画されていたというが、のびのびになっていたのは当時同じような作品が創られていたこと、制作していた映画が失敗したなどのきっかけを元に、再度同作品を手掛けたのは始動してから7年以上経っていた。

最初はグラフィックノベルとして2011年に発表され、その後パラマウントとニュー・リージェンシーと契約を交わしたことによって本格的な一本の映画を作るために動き始めたという。顛末としてはこんな感じだ、そうして長い空白と時間をおいて発表され、公開されることとなる。